360年続く江戸新吉原。歴史的な事や、青年部からのお知らせをお届け致します。

吉原七不思議

礒田 湖龍斎「色道取組一二番」

礒田 湖龍斎「色道取組一二番」

吉原七不思議とは、本所七不思議や八丁堀七不思議の様な歓談じみたものではなく、吉原での出来事や慣習を皮肉った、駄洒落のようなものです。下記に上げる他にも様々な謂れがありますが、代表的な七不思議を掲載しておきます。

新造にも婆あり

吉原の新造には、「振袖新造」という遊女見習いのような少女と、それが昇格した「留袖新造」(このうち稼ぎのいい遊女が『花魁』と呼ばれます)、引退後マネージャーのような役割を果たす「番頭新造」がいます。
読んで字のごとく「新しい」新造の名を持っていても、大年増である番頭新造もいる、ということです。三十過ぎの女性ですがすでに婆呼ばわりされてしまいます。

大門あれど、玄関なし

本来玄関というのはある程度の格式がなければその名前では呼ばれません。
単に家の出入り口である場合には「上がり口」というのが正しかったようです。
門があるほどの格式であれば当然「玄関」になるはずですが、そんな立派な屋敷は廓内にはありません。

遣り手といえども取るばかり

遊廓の因業代表格である「遣り手婆」。「遣る」という字をその名前に持っているくせに、客や遊女からふんだくることばかり考えているとからかわれています。

河岸あれど舟つかず

この河岸はお歯黒どぶ周辺の低級な遊女屋、「河岸見世」のことです。「河岸」ではあっても舟などつくはずもありません。

角町あれど、角にはあらず

「かど」ではなく「すみ」です。
確かに角ではなく吉原の真ん中あたりにある町です。

茶屋あれど、茶は売らず

単なる茶屋違い。直接遊女屋にあがらず茶屋(引手茶屋)に行ってから遊女屋に行くのはお金持ちだけです。
お茶を売るのは「水茶屋」。

若い衆にも禿あり

禿というのは遊女の身の回りの手伝いをする少女たちですが、江戸中期頃までは器量のいい男の子が禿となることもありました。
この男の子はたいていが将来は廓のさまざまな役割を担う「若い衆」になりました。

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